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辻野隆三は荻野目洋子の旦那!若い頃から現在までの経歴・プロフィールをチェック!

辻野隆三(つじの りゅうそう)さんは、歌手・荻野目洋子さんの旦那として知られる一方、日本男子テニス界を牽引

した元プロテニス選手であり、現在は実業家・テニス指導者・解説者としても活躍しています。

この記事では、辻野隆三さんの若い頃から現在までの経歴やプロフィール、そして荻野目洋子さんとの馴れ初めや家族についてチェックしましたのでご覧ください。

目次
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辻野隆三のプロフィール

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辻野隆三:Xホームページ

辻野隆三(つじの りゅうそう)さんは、日本の実業家、テニス指導者、解説者、そして元プロテニス選手です。・1969年2月24日生まれ、東京都小平市出身で、身長176cm、体重76kg、右利き。

・プロテニス選手としては1987年にデビューし、2003年に引退しました。
シングルスの自己最高世界ランキング354位(1993年10月18日)ダブルス380位(1998年7月27日)です。

引退後:株式会社BRATZ Internationalの代表取締役や、MIRAIテニスアカデミーの経営最高責任者を務め、日本テニス協会のツアー機構事業推進本部プロツアー委員長など、テニス界の発展にも尽力。

・私生活では、2001年に高校時代の同級生である歌手・荻野目洋子さんと結婚し、3人の娘さんがいます。

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荻野目洋子さんとのツーショット

若い頃のテニス経歴

👇辻野隆三さんの若い頃のテニス経歴です。

●辻野さんは小学校3年生まで野球少年でしたが、1977年にテレビで観たウィンブルドン男子決勝(ビョルン・ボルグ vs ジミー・コナーズ)に感動し、「これだ!」とテニスを始めました。
・9歳から本格的にテニスに打ち込み、ジュニア時代にはほとんどのタイトルを獲得。
特に全日本ジュニア18歳以下部門で1985年から3年連続優勝という、今なお破られていない偉業を達成しています。

堀越高校時代には、テニス部を全国高等学校総合体育大会(インターハイ)初優勝に導き、自身も個人優勝を果たしています
高校卒業後はアメリカに渡り、世界的名コーチであるビタス・ゲルレイティスやロバート・ランスドープの指導を受け、2年半の武者修行

プロ転向後は、1990年の群馬オープンと八ヶ岳オープンで優勝し注目を集めています。
同年のセイコースーパーテニスでは、世界的名手ボリス・ベッカーからサービスエースを奪うなど大健闘し、海外選手からも高く評価されました。

その後も国内外の大会で数々のタイトルを獲得し、1993年セイコースーパーテニスでは日本人で初めて予選突破、本戦でもパトリック・クーネンを破り2回戦進出。1994年全豪オープンでは松岡修造以来となる予選突破から本戦出場を果たしています。

攻撃的かつ積極的なプレースタイルで日本男子テニス界をリードし、デビスカップ日本代表としても活躍しました。

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 プロテニス選手としての主な戦績と記録

辻野隆三さんのプロテニス選手としての主な戦績と記録は以下の通りです。

  • 1987年にプロ転向し、2003年に引退。
  • シングルス自己最高世界ランキングは354位(1993年10月18日)、ダブルスは380位(1998年7月27日)。
  • 生涯通算成績はシングルス2勝11敗、ダブルス4勝9敗、。
  • 生涯獲得賞金は76,990ドル。
  • 全豪オープンシングルス本戦出場(1994年・1回戦進出)。
  • 全日本選手権ではシングルス準優勝(1992年・1993年)、ダブルス優勝(1998年)。
  • 全日本ジュニア(18歳以下)では1985年~1987年に3年連続優勝。
  • デビスカップ日本代表として1988年、1991年~1995年に出場。
  • 1994年広島アジア大会混合ダブルスで銀メダル獲得。
  • 国内ランキングではシングルス2位、ダブルス1位を記録。
  • 1992年、1994年、1996年のイザワ・クリスマスオープン・テニストーナメントで3度優勝。

これらの実績から、辻野隆三さんは日本男子テニス界を代表する選手の一人として活躍したことが分かります。

引退後の活動と現在の仕事

●辻野隆三さんは2003年に現役を引退した後、テニス界の発展と後進の育成に力を注いでいます。
・引退直後に神奈川県横浜市で「MIRAI TENNIS ACADEMY」を設立し、指導者として幅広い世代の選手を育成中です。
・また、辻野さんはテニス中継の解説者としても活躍しており、NHKやGAORA、TBSなどでウィンブルドンやジャパンオープンなどの大会解説を担当。その的確で分かりやすい解説は多くのファンから支持されています。

・さらに、日本テニス協会のツアー機構事業推進本部プロツアー委員長や、ジャパンオープン委員などの役職も務め、テニス界の運営や発展にも寄与。

辻野隆三さんは引退後も指導者、解説者、テニス界の運営者として多方面で活躍し、日本テニス界を支え続けています。

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荻野目洋子さんとの馴れ初め・結婚・家族エピソード

💓辻野隆三さんと荻野目洋子さんとの馴れ初めは、堀越高校の同級生として出会ったことがきっかけです。
・辻野さんは体育コース、荻野目さんは芸能コースに在籍しており、当時はそれほど接点がなかったものの、卒業間際の補習授業で知り合い、意気投合

・交際が始まったものの、荻野目さんがアイドルとして人気絶頂期だったこともあり、事務所から「結婚か仕事か」の選択を迫られ、一度は別れることに。
・その後、長い間連絡も取れずにいましたが、30代になってから、共通で通っていたレストランに辻野さんが自分の名刺を預けていたことがきっかけで再会。
・再び交際をスタートさせ、荻野目さんの妊娠を機に2001年に結婚しました。

・結婚後は3人の娘に恵まれ、荻野目さんはSNSなどで夫婦ショットや家族の日常を公開しており、ファンからも「素敵な笑顔」「仲良し夫婦」と温かい声が寄せられています。
・また、結婚式は多忙のため挙げていませんでしたが、結婚15年目に舞台の企画で人前結婚式を行い、桂由美デザインのウェディングドレス姿を披露したことも話題になりました。

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画像引用元:Ameba

辻野隆三は荻野目洋子の旦那!若い頃から現在までの経歴・プロフィールをチェック!まとめ

辻野隆三さんは、テニスプレーヤーとして数々の記録を打ち立て、引退後も指導者・経営者・解説者としてテニス界を支え続けています。

荻野目洋子さんとの家庭も大切にしながら、今後も日本テニス界の発展や次世代の育成に期待が寄せられており、注目されます。

ご覧いただき有難うございました。

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