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【追悼】俳優・露口茂さんが逝去!若い頃からの経歴とエピソードを徹底解説!

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日本ドラマ史に欠かせない名俳優・露口茂(つゆぐち しげる)さんが逝去されたというニュースは、多くのファンに深い悲しみを与えました。

温厚ながらも芯の強い人物像を体現し、テレビドラマや舞台で数々の印象的な役柄を残した露口さん。

本記事では、その若い頃の活動から晩年に至るまでの経歴、そして共演者や業界関係者の間で語り継がれるエピソードを振り返り、改めてその功績を偲んでみましたのでご覧ください!

目次
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【追悼】俳優・露口茂さん逝去

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露口茂さん【出典:北国新聞

2025年9月初旬、俳優の露口茂さんが逝去されたことが報じられ、芸能界やファンの間に大きな悲しみが広がっています。
⦿享年92歳。露口さんは長年にわたり日本のテレビドラマや映画界で活躍し、その温かな人柄と確かな演技力で人々の心をつかんできました。

⦿逝去の知らせが伝わると、多くの共演者や関係者がSNSやコメントで惜しむ声を寄せています。

・特に彼の代表作『太陽にほえろ!』の仲間たちからは、彼の人間味あふれる演技と現場での心遣いがいかに尊敬されていたかが語られています。
・また、ファンからも「ずっと見守ってきた大好きな俳優さん」「心からご冥福をお祈りします」といった追悼のメッセージが多数寄せられています。

露口茂さんのプロフィール

露口茂さんは1932年4月8日、現在の東京都(当時は東京府東京市)に生まれましたが、太平洋戦争の影響で両親の故郷である愛媛県松山市に疎開し、そこで育ちました。
⦿愛媛県立松山東高等学校を卒業。
・一学年下に俳優・映画監督の伊丹十三や作家の大江健三郎がいます。高校時代は水泳や陸上、ラグビー、バスケットボールなどスポーツにも秀でていました。

⦿その後、愛媛大学文理学部人文学科に進学しながらNHK松山放送劇団の劇団員としてラジオドラマなどに参加していましたが、大学を2年で中退し、1955年に劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所に第7期生として入所。
1957年にNHKのテレビドラマでデビューし、1958年に卒業、劇団新人会に入団しました。

⦿1960年には小沢昭一らと共に「劇団俳優小劇場」を旗揚げに参加し、1971年に解散するまで活動したほか、映画やテレビドラマ、声優として幅広く活躍しました。
特に刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の「山さん」役で国民的な知名度を得ています。

2025年4月28日に老衰のため東京都の自宅で93歳で亡くなりました。

👇以下に露口さんの若い頃からの経歴を順次まとめましたのでご覧ください!

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若い頃の活躍と代表作

露口茂さんの若い頃の活躍と代表作についてまとめます。

露口茂さんは1955年に劇団「俳優座演劇研究所付属俳優養成所」に第7期生として入所し、俳優の道を本格的に歩み始めました。
⦿同期には田中邦衛さんらがおり、養成所時代はポスター貼りのアルバイトをしたエピソードも知られています。
1957年にNHKのテレビドラマ「東京の虹」でデビューを果たしました。

⦿1959年には古川卓己監督の映画『逃亡者』で映画デビュー。
・その年には『女子大学生 私は勝負する』でも映画出演を果たしています。この作品は劇中の水着シーンの影響で上映が急に打ち切られた話が残っています。

⦿1960年、劇団「新人会」から分かれて小沢昭一らと「劇団俳優小劇場」を結成し、1971年まで活動しました。
小劇場活動の傍ら、舞台やラジオドラマなどでも力を発揮しています。

露口さんの代表作として最も知られているのが1972年に開始したテレビドラマ『太陽にほえろ!』の「落としの山さん」役です。
⦿この役で国民的な人気俳優となり、特に30~40代女性を中心に理想の男性像として注目されました。
・それ以外にも『水戸黄門』『終着駅シリーズ』など多数の刑事ドラマや時代劇に出演し、俳優としての幅広い活躍が光っています。

若い頃は悪役や個性的な性格俳優としてのキャリアを積み重ね、独特の存在感で印象を残しています!

【若い頃の活躍と代表作まとめ】

  • 1955年 俳優座演劇研究所入所
  • 1957年 テレビドラマで俳優デビュー
  • 1959年 映画デビュー『逃亡者』『女子大学生 私は勝負する』
  • 1960年 劇団「俳優小劇場」結成に参加
  • 1972年 『太陽にほえろ!』の山村精一役で大ブレイク
  • その他多数のテレビドラマ・映画・舞台出演

名優としての演技スタイル

露口茂さんの演技スタイルは「静かな男」の代名詞とされ、明るさと暗さの両極を巧みに演じ分け、非常に高い実在感を表現することが特徴でした。
⦿彼の演技は人生の奥行きを描き出し、内に秘めた情熱や不器用さを魅力的に変えることができる数少ない俳優と評価されています。

⦿代表作の刑事ドラマ『太陽にほえろ!』では、落ち着いたベテラン刑事「山村精一(通称・山さん)」を演じ、長期間にわたり視聴者から絶大な支持を得ました。
・山さん役は情熱を秘めながらも静謐さや小心さ、たまに見せるふてぶてしさという複雑な人間性を持ち、露口さんがその多面的なキャラクターを巧みに表現。
1986年に放送された山さんの殉職回は視聴率が急上昇し、彼の演技力が番組人気の大きな支えとなっていた証明ともなっています。

●映画では1960年代の社会派作品から時代劇まで幅広く活躍し、例えば今村昌平監督の『赤い殺意』などで人間の深淵を表現、またテレビドラマ『終着駅シリーズ』では、刑事の心理を丁寧に掘り下げる演技が評価されました。

露口さんの演技は多彩なジャンルに対応でき、時代劇における侍の哀愁や現代劇の刑事の葛藤などを自然に演じ切る適応力の高さも特徴です。
・共演者からは演技に真摯で準備を怠らず、現場では若手への助言も惜しまなかったと尊敬されています。

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共演者やスタッフが語るエピソード

露口茂さんにまつわる共演者やスタッフが語るエピソードをご紹介します。

⦿露口さんはテレビドラマ「太陽にほえろ!」で長年、警部補「山村精一(山さん)」役を務め、共演者やスタッフからは現場の精神的支柱として非常に尊敬されていました。
共演の石原良純さんは、露口さんの落ち着いた雰囲気や的確な演技がドラマの深みを作り出していたと語っています。
石原裕次郎さんも露口さんを「『太陽にほえろ!』になくてはならない男」と評しており、番組の成功に不可欠な存在だったことがうかがえます。

⦿露口さんは作品づくりに妥協を許さず、最終回となった自身の殉職シーンでは自身の演技に強いこだわりを見せ、自らスタンドインを務めるなど全力を尽くしました。
撮影監督の高瀬昌弘さんは、露口さんの真摯な演技姿勢に強く心惹かれたと語っています。

⦿ファン対応についても誠実さが際立ち、体調が優れない日でも熱心なファンに対して丁寧に応じていたというエピソードが残っています。
三田村邦彦さんは、ファン対応でも露口さんの礼儀正しさと真摯な姿に感銘を受けたと証言。

⦿仕事の合間には若手俳優への助言も欠かさず、後輩育成にも熱心でした。「芝居は口元で語る」など独自の演技哲学を持ち、現場全体に良い影響を与えていたことでも知られています。

晩年と俳優業からの歩み

👇露口茂さんの晩年と俳優業からの歩みについてまとめました!

●露口茂さんは1955年に俳優座養成所に入り、その後40年以上にわたり映画やテレビドラマ、声優として幅広く活躍しました。中でもテレビドラマ『太陽にほえろ!』では1972年から1986年まで、691話連続で警部補「山村精一(山さん)」役を務め、国民的な人気を博しました。

しかし、1995年の映画『耳をすませば』で声優のバロン役を務めたのを最後に、露口さんは目立った芸能活動をほぼ行わなくなりました
⦿特に高齢になり「積極的に仕事をしよう」という意欲が薄れ、2013年のインタビューでは「役者としてもう一度とは考えていない」と引退状態を明かしていました。

これは露口さんにとって自然な「卒業」のようなものであり、決してスキャンダラスな引退ではなく、穏やかな人生の選択でした。

⦿晩年は東京都内の自宅で妻と静かに過ごし、娘夫婦や孫に会うことを楽しみにしながらマイペースな生活を送っていました。関係者やファンにも晩年は温かく見守られ、落ち着いた生活を送ったことが伝えられています。

露口茂さんは長年にわたり俳優としての重責を果たし、その後は家族に囲まれた穏やかな時を過ごすことを選びました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

露口茂さんは、実力派俳優として舞台や映画、テレビドラマで幅広く活躍し、『太陽にほえろ!』の山さん役で国民的人気を得ました。

その静かで誠実な演技、共演者やスタッフへの誠意ある立ち振る舞いは多くの人々に愛されました。

晩年は家族と静かに暮らし、93歳で穏やかに天寿を全うされました。

露口茂さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご覧いただき有難うございました。

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