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デヴィ夫人のインドネシアでの評判は?若い頃から新党立ち上げまでの経歴を調査!

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デヴィ夫人は現在85歳で、元気すぎるほどお元気ですね!

最近、新党「ワンニャン平和党」を設立され、次の参議院議員選挙への意欲十分です。

本記事では、インドネシアでの評価、若い頃から新党立ち上げまでの経歴を調査し、波乱万丈な軌跡を探ってみました。

目次

デヴィ夫人のインドネシアでの評判

👇最近のデヴィ夫人

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デヴィ夫人は1960年代、インドネシア初代大統領スカルノの第三夫人として一躍有名になりました。日本人として大統領夫人になったという事実は、当時のインドネシア社会でも大きな話題となり、国際的にも注目を集めました。

評判の二面性

肯定的な評価:
• 一部のインドネシア国民やメディアからは、「自立した女性」「国際的なセレブリティ」として評価されています。
• スカルノ大統領の夫人として国際舞台で活躍したことや、語学力・社交性の高さは、特に現代の若い世代や知識層から「先進的な女性」として認識されることもあります。

否定的な評価:
• 一方で、スカルノ政権時代の贅沢な暮らしや、政変後も海外で華やかな生活を続けたことから、「国民の税金で贅沢をした」「成り上がり」といった批判的な声も根強く存在します。
• インドネシア国内の一部では、スカルノ大統領の不正蓄財疑惑と結びつけて「悪評」「全国民から恨まれている」といった極端な意見もあり。

最近の動向と現地の反応
2025年には日本での政治活動のため、インドネシア国籍を放棄し日本国籍に戻るという決断をしたことが現地メディアで大きく報じられました。
このニュースに対しては、「インドネシアへの愛着が薄いのでは」という否定的な声と、「新たな挑戦を続ける姿勢は尊敬できる」という肯定的な声が混在しているようです。

デヴィ夫人の経歴

以下にデヴィ夫人の若い頃から現在までの経歴をまとめてみました!

デヴィ夫人の若い頃

戦時下の東京で育った少女時代

1940年、東京・品川区で生まれたデヴィ夫人(旧名・根本七保子)。
・戦火が激化する中、一家は長野県へ疎開。
・終戦後の東京大空襲で自宅を失い、板張りのバラックで育つ。当時を振り返り「米軍兵からチョコレートをもらうのが最大の楽しみ」と語るほどの極貧生活が、後の「成り上がり精神」を育んだといわれます。

高校中退からホステスへ

都立三田高校在学中に父が事業失敗。15歳で中退後、銀座のキャバクラ「クラブ・ニュー東京」にホステスとして入店する。
・ここで培ったフランス語と社交術が、後のスカルノ大統領との出会いにつながっています。当時の同僚は「客の心を鷲掴みにする天性の才があった」と証言。

インドネシアでの生活

19歳の決断 インドネシアへ渡る

1959年、インドネシア石油公社の重役・ラトゥミジョノと知り合い、単身ジャカルタへ。
・当初は貿易商社のOLとして働きながら、現地社交界で「東洋のマリリン・モンロー」と呼ばれる存在に。
スカルノ大統領との運命的な出会いは、日本大使館主催のレセプションでのこと!

 ・スカルノ大統領夫人としての生活

1962年、22歳でスカルノ大統領の第三夫人となるが、現地メディアから「成り金夫人」と批判される日々。
・インドネシア語が不自由な中、独学でマスターし「美しさは武器だが、知性は鎧だ」と反論。当時の写真では、常にスカルノ大統領の右隣に立つ姿が確認できます。

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政変と亡命

1965年の9月30日事件後、スカルノ大統領が失脚
・デヴィ夫人はスイス経由でパリへ亡命。シャネルのオートクチュールを纏い、モンテカルロのカジノで「1晩で100万ドル勝負」した伝説が残ります。この時期の経験が、後の「金銭感覚異次元説」の原点となったようです。

9月30日事件とは、ンドネシア現代史の一大転機を成したクーデター事件。これを機にスカルノからスハルトへと最高権力者が交代。スカルノ大統領は失脚しました。

日本への帰国以降

タレントに転身しバラエティー番組出演:

1974年に日本へ帰国後、タレントに転身しバラエティー番組への出演を開始。テレビ番組『11PM』で「1分間スピーチ」が話題に。
・当時の演出スタッフは「台本を一切拒否し、即興で皇室批判を始めるなど制御不能」だったと苦笑交じりに回想。
・1980年代には「デヴィ・スカルノ」名義で歌手デビューも果たしています。

新党立ち上げ

「ワンニャン平和党」設立

2025年2月12日、東京都内で記者会見し、犬・猫との共生社会の実現を目指す政治団体「12(ワンニャン)平和党」の結党を発表。代表にはデヴィ夫人が就任し、今夏の参院選に擁立する候補者の公募を近く始めるとのこと。

デヴィ夫人のインドネシアでの評判は?若い頃から新党立ち上げまでの経歴を調査! まとめ

いかがでしたでしょうか?

デヴィ夫人は、貧困からインドネシア大統領夫人となり、華やかな経歴と波乱の人生を歩んできました。

日本へ帰国後はタレントや社会活動家として活躍し、85歳で新党「ワンニャン平和党」を設立するなど、今なお精力的に挑戦を続けています。

今後もその行動力と発信力で、新たな話題を提供してくれるでしょう。

ご覧いただき有難うございました。

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