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【追悼】作家・嵐山光三郎さんが逝去!若い頃からの経歴とエピソードを徹底紹介!

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2025年11月14日、作家でエッセイストの嵐山光三郎(あらしやま こうざぶろう)さんが83歳で肺炎のため亡くなりました。

静岡県浜松市出身で、独特の軽妙な文体で食や旅、文化をテーマに多くの作品を生み出し、テレビ番組にも出演して幅広い層から愛されました。

本記事では嵐山さんの若い頃からの経歴や代表作、そして知られざるエピソードを詳しくご紹介します。

目次
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【追悼】作家・嵐山光三郎さんの訃報について

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嵐山光三郎さん【出典:YAHOOニュース

逝去された作家・嵐山光三郎さんの訃報

2025年11月14日午後6時、作家でエッセイストの嵐山光三郎さんは東京都内の自宅で肺炎のため83歳で亡くなりました。
◦死因は肺炎と公表されており、高齢での体力低下も影響したと見られています。

◦葬儀は近親者のみで静かに執り行われ、報道では11月28日に訃報として公に発表されました。

◦嵐山さんは静岡県浜松市出身で、編集者としてのキャリアを経て、多彩な作品を世に送り出し、多くの人々に親しまれた存在でした。

追悼の言葉―多くの人々に愛された理由

嵐山光三郎さんは、その確かな文筆力と軽妙な語り口で、エッセーや紀行文、テレビ番組に至るまで幅広く活躍しました。
◦彼の文章は読者に寄り添い、親しみやすさとユーモアをもって日常の楽しさや文化の魅力を伝えました。

◦多方面で見せたマルチな才能と温かい人柄は、多くのファンに惜しまれながら浸透しており、日本の文化界に大きな足跡を残しました。

👇以下に嵐山さんの若い頃からの経歴をたどってみます!

嵐山光三郎さんの若い頃と学生時代

嵐山光三郎さんは1942年1月10日生まれで、出生地は静岡県浜松市中野町です。

◦生後間もなく、父・祐乗坊宣明(朝日新聞社社員から多摩美術大学教授へ転じたデザイナー)の仕事に伴い、1950年から東京都北多摩郡国立町(現・国立市)で育ちました。

国立学園小学校を卒業し、同級生には外務省軍縮大使の登誠一郎さんや朝日新聞社の宮本貢さんがいます。

◦その後、桐朋中学校・高等学校に進学し、1965年國學院大學文学部国文学科を卒業。中世文学を専攻し、丸谷才一さんや安東次男さんの指導を受けています。

◦大学時代は笠井叡(高校の後輩)から紹介された土方巽さんの前衛舞踏公演「金粉ショー」のアルバイトを経験するなど、芸術に積極的に触れました。 また、民放テレビ局の入社試験に合格したものの辞退し、文学の道を選択。

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編集者としての華やかなキャリア

■嵐山光三郎さんは1965年に國學院大學文学部国文学科を卒業後、当時「国民百科事典」のヒットで勢いのあった平凡社に入社し、編集者としてのキャリアをスタートさせました。

◦平凡社では『別冊太陽』『太陽』の編集長を務め、年賀状図案特集など話題性の高い企画を次々と当てるなど、雑誌編集の第一線で活躍。

◦編集者時代には、民俗学者の谷川健一さんや評論家の林達夫さんら、個性豊かな先輩編集者たちのもとで腕を磨きながら、檀一雄さんや澁澤龍彦さん、深沢七郎さんら文壇の“濃い”作家たちと親交を深めました。

◦その経験はのちに自伝的小説『昭和出版残侠伝』などで描かれ、「型破りな編集者」「文人と酒場を渡り歩く編集者」といった印象を生む源泉にも。

1981年、平凡社の経営危機を機に独立し、部下たちとともに編集プロダクション「青人社」を設立します。

1982年には月刊誌『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊し、自ら編集長として陣頭指揮を執り、最盛期には20万部規模の雑誌へと育て上げました。

この“タレント編集長”としての成功が、のちのテレビ出演や「笑っていいとも!増刊号」編集長としての活躍にもつながっていきます。

独立後の作家活動と代表作

■嵐山光三郎さんは1981年の平凡社退社後、編集プロダクション「青人社」を設立し、本格的な作家・編集者としての独立キャリアをスタート。

◦1982年
には自ら編集長を務めた月刊誌『DoLiVe(ドリブ)』を創刊、最盛期に20万部を誇るヒット作に育て上げ、若者文化を牽引する存在に!

◦エッセイ分野では1988年、講談社エッセイ賞を受賞した『素人庖丁記』で食のユーモアを軽妙に描き注目を集めています。

◦続いて『文人悪食』(1997年)、『文人暴食』、『文人悪妻』の「文人」シリーズが文化史的視点でベストセラーとなり、文壇に独自の足跡を刻みました。

◦時代小説『悪党芭蕉』(2006年)は泉鏡花文学賞、翌年の読売文学賞を受賞し、芭蕉の人間臭い魅力を鮮やかに蘇らせました。
◦また自伝的小説『昭和出版残侠伝』、旅紀行『日本一周ローカル線温泉旅』、民俗学者の伝記『漂流怪人・きだみのる』など、多彩なジャンルで200冊超の著作を遺し、食・旅・出版文化をテーマに幅広い読者を魅了。

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嵐山光三郎さんの独特な文体とテーマ

■嵐山光三郎さんの文体は、椎名誠さんらとともに「昭和軽薄体」と呼ばれ、日常の話し言葉を饒舌に文章化した軽妙で親しみやすいスタイルが特徴です。

◦特に独自の「ABC文体」(例:「たのC(シー)のでR(アール)」=「楽しいのである」)でカタカナやアルファベットを多用し、擬音語・擬態語、長音記号「ー」を交え、読者の笑いを誘うユーモラスな表現を確立。

◦テーマは食、旅、文化が中心で、『素人庖丁記』では包丁さばきの楽しさを、『文人悪食』シリーズでは文豪たちの食嗜好を文化史的に解き明かしています。

阪神タイガースの熱狂的なファンとしても知られ、日常のささやかな喜びや人間味を軽快に描き、幅広い世代に支持を集めました。

この文体は1980年代の若者文化を象徴し、現代のSNS文章やエッセイにも影響を与え続けています。

テレビ出演とマルチな才能

■嵐山光三郎さんは1982年からフジテレビ「笑っていいとも!増刊号」の初代編集長としてレギュラー出演し、平日版のダイジェストを紹介する「編C後記」コーナーで独特の軽妙トークを披露、約5年間お茶の間に親しまれました。

◦タモリ司会の「今夜は最高!」への出演をきっかけにバラエティに進出後、テレビ東京の「クイズ地球まるかじり」(解答者)、「嵐の冗談本舗」(司会)、日本テレビ「TVムック・謎学の旅」、NHK「食は文学にあり」、TBS「ここがヘンだよ日本人」など多番組で活躍。

⦿CMではアートネイチャー東京ガスのガス関連商品に出演し、口ひげ姿の個性的キャラクターを活かしました。

編集者・作家・タレントのマルチ才能で1980年代若者文化を象徴、食・旅・出版の知見をテレビで広く発信!

まとめ:追悼の言葉―多くの人々に愛された理由

嵐山光三郎さんは、軽妙な「ABC文体」と食・旅・文化をテーマにしたエッセーで日常の喜びを伝え、編集者・作家・タレントのマルチな活躍で1980年代の若者文化を象徴する存在でした。

阪神タイガースの熱烈ファンぶりや口ひげの個性的キャラクター、バラエティ番組でのユーモラスなトークが幅広い世代に親しまれ、200冊超の著作を通じて人間味あふれる視点を提供し続けました。

83歳での逝去は惜しまれますが、その軽快で温かな遺産は今後も多くの読者・視聴者の心に生き続け、日本の文化シーンに永遠の輝きを残すことでしょう!

ご覧いただき有難うございました。

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