ピンク・レディーのケイとして一世を風靡した歌手、増田恵子さんは、夫の桑木知二(くわき ともじ)さんが8月21日に70歳で「がん」により死去されていたことを公式サイトで報告されました。
報告によると、桑木知二さんはすい臓がんが肝臓に転移して亡くなられたとのこと。
今回は、増田恵子さんの夫の職業はなにか?と経歴を調査しまとめましたので報告いたします。
夫の桑木知二さんのプロフィール
●基礎プロフィール
・名前: 桑木 知二(くわき ともじ)
・生年月日: 1954年1月22日
・出身地:東京都
・学 歴: 早稲田高等学校卒業、青山学院大学中退
・職 業: 音楽プロデューサー
夫の桑木知二さんの職業は?
●職業は 音楽プロデューサーで、内容は多岐にわたっています!
具体的な仕事してはミキサー技師としての実績が多くあります。
●仕事の内容の概略を以下にまとめてみました。
音楽プロデューサーの仕事
- アーティストのサポート: 音楽プロデューサーは、楽曲制作の全体的なビジョンを管理し、アーティストと一緒に作品を作り上げる。
- 作曲・編曲のディレクション: 楽曲の構成やメロディ、リズムをどのように編曲するかをアーティストや作曲家と相談しながら決定。
- レコーディングの監督: スタジオでの録音作業を監督し、アーティストやミュージシャンが最高のパフォーマンスを発揮できるようサポート。
- ミックスやマスタリングの指示: 録音されたトラックをどのようにミックスするか、音のバランスや質感を決める役割。
ミキサー技師の仕事
- 音源のミキシング: ミキサー技師は、録音された複数の音源(ボーカル、楽器、エフェクトなど)をバランス良く組み合わせ、最終的な音を作り出す。
- 音質の調整: 各トラックの音質を最適化するために、イコライジング(EQ)、コンプレッサー、リバーブなどの音響処理を行う。
- クライアントとのやり取り: クライアントやアーティストと連携し、彼らの希望に沿ったサウンドを作り出します。
- スタジオ機材の操作: 専門的なスタジオ機材を使いこなす技術が必要。
桑木 知二さんの職業だった音楽プロデューサー、ミキサー技師の仕事は目立たないけど音楽造りには欠かせない仕事です。増田さんとは仕事を通じて知り合ったようですね
夫の桑木知二さんの経歴は?
・1986年:音響会社「ギルド・ジャパン」を設立。(ミキサー技師として活動)
・2002年:増田恵子さんと結婚。
・2004年:「ギルド・ジャパン」が倒産。その後、旦那の桑木知二は自己破産。
・音楽系の専門学校「日本工学院放送芸術家」にて講師を務めていました。
桑木さんの長年にわたる技術力は、音響分野での高い評価を受けており、アーティストやクライアントからの信頼も厚かったことが知られています。
増田恵子さんとの関わり
増田さんの夫の病状と最後についてのコメント:
過日、8月21日の夜、夫 桑木知二が永眠しました。膵臓癌でした。
最期の三時間、ずっとトモの手を握って声を掛け続け、看取ることが出来ました。
悲しかったけれど、痛みから解放されたトモの安らかな顔が、私を静めてくれました。
今から思えば・・・変調があったのは昨年の5月。一緒に歩いていて息が上がり先に行ってと・・・運動不足じゃない?そうだね!と笑って話してた。
昨年の12月、目がダブルビジョンに見えて疲れるんだ・・・徹夜で仕事して目を酷使してるからだよ、病院に行こうよ!
この仕事1月までに上げたら行くよ!無理しないでよ!と話した。
2月、脳ドックと眼科を受診するも原因不明。
3月6日、主治医の大学病院で検査をした結果、思いもよらぬ膵臓癌が見つかった。
膵臓がんの特徴とは?
・膵臓がんは、初期症状がほとんどないため早期発見が難しく、発見された時には進行していることが多いと言われています。
・また、早期発見が難しく、診断時にすでに肝臓や他の臓器に転移しているケースが多いです。膵臓がんが診断される段階では、30〜50%のケースで肝臓などへの遠隔転移が見られるとされています。
夫との闘病生活
すい臓がんが見つかってからの闘病生活は大変だったと思いますが、増田さんのコメントからは夫婦間の愛情に満ちた様子がうかがえ涙を誘います。
私達は膵臓癌が見つかって以来、お互いをこれまで以上に大切に思い、お互いが隣にいてくれる事に感謝し、これ程1日1日を1分1秒を愛しく生きた事は本当にありがたく幸福な時間でした。
主治医からは仕事はキャンセルした方が良いと言われましたが、それは私が壊れてしまうと返しました。
トモに話したら、「キャンセルする必要はないよ、歌いなさい!ケイは歌っている時が一番幸せそうだよ。絶対に観に行くから!」と言ってくれました。24日の横浜のライブには来れなかったけれど・・・
今後の活動
これからも音楽活動を続けていく増田恵子さんのメッセージ
横浜のライブは不思議な感覚でした。私はあたたかな黄金色に光るまゆの様な物に包まれてステージに立っていました。優しい光を発して・・
あれはトモです!トモが私を包んでいてくれる安心感がありました。
これからも、ずっとステージに立つ時はいつでも。
そして皆さんも、これからもずっとずっと私と一緒にいて下さいね!
そして最後に皆さん、トモに優しく接してくれて、トモを慕って下さって、本当に本当にありがとうございました。
みんなのコメントから
✅今年3月にすい臓がんが見つかったが、肝臓にも転移をしていて、末期と診断されたとのこと。治療は続けつつ、命の長さより生活の質を選ぶ。
しかし、半年たらずで逝去された。 発見が難しく、見つかったときには末期状態、というすい臓がんの特徴が顕著に現れて、大変残念なことでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
✅まだまだ70歳は本当に若い。 3月にすい臓がんが発覚して既に肝臓 に転移してからの5ヶ月で死去。
知り合いにもいたがやはりすい臓は 沈黙の臓器と言われており不調を感じ た時には末期。
転移しやすいすい臓がんはやっかいな がん。延命治療をしながら現状維持は やはり覚悟はなされていたのでしょう。 謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
✅膵臓癌は早期発見が難しく体調不良になれば転移して本当にガンの中でも怖い病気です。
3月に膵臓癌と分かり約6ヶ月の命で本当に辛い日々だと思います。
悲しいですがご夫婦で色々語られてケイさんに見守られて天に召されたと思います。
これから日が経つ事に悲しみが深まると思いますがご主人感謝されながら逝かれたと思いますので ケイさん、ご主人の分までお元気に進まれてください。
ケイさんか元気でおられるのが一番の供養だと思います。 そして一日も早い膵臓癌の早期発見での発明の治療が出来る様に節にお願いしたいです。
✅おしどり夫婦だったんだろうね。お悔やみ申し上げます。辛いだろうけど歌声楽しみに待ってます。ピンクレディ時代はけいちゃん推しでした。ソロの雀という歌好きでした。
【ピンク・レディー】増田恵子の夫の職業はなにか?経歴を調査! まとめ
いかがでしたでしょうか?
逝去された増田恵子さんの夫・桑木知二さんとの闘病生活と今後の活動を調査しました。
膵臓がんという厄介な病気に対し、ご夫婦で精神的なきずなを失わずに頑張って闘病生活をなされたのが分かりました。
増田恵子さんは今後もお元気で歌手生活を続けてほしいですね
桑木知二さんのご冥福をお祈りいたします。
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