元宝塚歌劇団星組トップスターで、俳優の高島忠夫さんとの「おしどり夫婦」としても知られた女優の寿美花代(すみ・はなよ)さんが、2026年8月3日、老衰のため94歳で亡くなりました。
宝塚歌劇団時代には『華麗なる千拍子』など数々の名作に出演し、退団後は夫・高島忠夫さんとともに長寿料理番組『ごちそうさま』の司会を務めるなど、戦後日本の芸能界を彩り続けてきた大女優です。
本記事では、寿美さんの訃報の詳細から、宝塚時代を含む若い頃からの経歴、高島忠夫さんとの思い出深いエピソード、そして関係者やファンからの追悼の声まで、その足跡を振りかえってみましたのでご覧ください!
寿美花代さんの訃報(死因・葬儀日程など)

◆寿美花代さんは2026年8月3日午前4時43分、老衰のため東京都内の自宅で永眠されました。享年94歳でした。
◦所属事務所・東宝芸能が8月6日正午に発表し、葬儀は同日午前、都内の斎場で家族のみで執り行われたことが明らかになりました。お別れ会などの開催予定はないとのことです。
◦寿美さんはここ数年、誤嚥(ごえん)性肺炎により入退院を繰り返していました。
◦長男の高嶋政宏さんによると、「数日前、会いに行った時も嚥下がほぼ出来ない状況で苦しがるのと、その痰が何かのタイミングで流れると安らかに眠りにつく、の繰り返しだった」。
●最期は次男の高嶋政伸さんによると、「父と共に大好きだったフリオの歌声のなか、子供と孫に囲まれながら、最期まで美しく凛とした表情のまま、眠るように旅立ちました」とコメント。
寿美花代さんの若い頃からの経歴
◆1932年2月6日、兵庫県西宮市に生まれた寿美さん(旧姓・松平)。
◦芦屋高等女学校を経て、1948年に宝塚歌劇団に入団、35期生。宝塚時代の愛称は「マッちゃん」。
◦同年『春のをどり』で初舞台を踏み、1952年にはグランドレビュー『猿飛佐助』で初主演。その後、星組の男役トップスターとして活躍し、1960年には『華麗なる千拍子』で宝塚初の芸術祭賞受賞に貢献しました。
●1963年、『タカラジェンヌに栄光あれ』をさよなら公演に宝塚歌劇団を退団。
◦同年、俳優の高島忠夫さんと結婚し、本名の髙嶋節子として活動の幅を広げました。
◦退団後は映画『新源氏物語』(1961年)や『歌え!青春 はりきり娘』(1955年)などにも出演。
●1971年からは夫婦で司会を務めた料理番組『ごちそうさま』が26年間にわたる長寿番組となり、“高島ファミリー“としてお茶の間に親しまれました。
夫・高島忠夫とのエピソード
◆寿美さんと高島忠夫さんは、芸能界きっての「おしどり夫婦」として有名でした。

◦1963年の結婚以来、60年以上にわたる夫婦生活を送り、2019年6月に高島さんが88歳で亡くなるまで、互いに支え合う関係が続いたのです。
◦特に注目されたのは、1998年に高島さんがうつ病を発症した際のエピソードです。
◦突然の夫の心の病に驚きつつも、寿美さんは献身的に介護に取り組み続け、約10年の歳月をかけて高島さんがほぼ完治するまで支え続けました。
●この献身的な介護について、寿美さんは「私が面倒みたいの」と語り、夫を支え続ける姿勢を貫いたのです!
◦夫婦で出演した料理番組『ごちそうさま』では、自然な掛け合いと温かい雰囲気が視聴者に愛され、長寿番組に。
★高島さんが亡くなった後も、寿美さんは「夫と共に大好きだったフリオの歌声のなか」で最期を迎えるなど、夫婦の絆の深さがうかがえますね!
関係者・ファンからの反響や追悼
◆寿美さんの訃報を受け、長男の高嶋政宏さん(60)と次男の高嶋政伸さん(59)は所属事務所を通じて追悼コメントを発表しました。
👇高島ファミリー画像:前列(左)寿美さん、同(右)高島さん:後列(左)政宏さん、同(右)政伸さん

◦政宏さんは「いつもユーモアを忘れない明るく優しい母でした」と振り返り、政伸さんは「最期の最期まで大女優 寿美花代だった母でした」と母親を讃えました。
●また、ファンや関係者からは「戦後復興期の芸能界を歩んできた大女優」「高島ファミリーを支え続けた優しい母」といった追悼の声が寄せられています。
まとめ
寿美花代さんは、宝塚歌劇団のトップスターとして、また高島忠夫さんとの「おしどり夫婦」として、戦後日本の芸能界に大きな足跡を残しています。
1948年の宝塚入団から2026年の永眠まで、78年間にわたる芸能活動は、多くのファンに愛と感動をもたらしました。
最期は家族と孫に囲まれ、夫・高島さんが大好きだったフリオの歌声に包まれながら、安らかに旅立ちました。
その生涯は、大女優としての輝きと、家族を愛する優しい母としての姿を両立させた、まさに「おしどり夫婦」の象徴といえるものでした。
寿美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までご覧いただき有難うございました。




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